日本で起こった最大震度7の大地震
その特徴と被害

福井地震をきっかけに震度7が新設されて以降、日本で発生した最大震度7の大地震はこれまでに5回。兵庫県南部地震・新潟県中越地震・東北地方太平洋沖地震・熊本地震(2回)です。それぞれの地震の特徴を整理し、改めて大地震の怖さについて考えます。


東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、津波で街が壊滅的被害を受けました。
(画像提供:flickr)

地震の揺れの大きさを表す「震度」は、日本では気象庁が制定した震度階級が使われており、正確には「気象庁震度階級」といいます。単に震度階級あるいは震度階といわれることもあります。

この気象庁震度階級(いわゆる震度)に最上位の「震度7」が作られたのは、1948年の福井地震がきっかけでした。福井地震では、福井県福井市内で震度6が記録されたものの、福井平野では建物の全壊率が60%を超えるなど被害は甚大でした。今の基準では震度7くらいではなかったかと言われています。

この福井地震がきっかけに震度7が新設されて以降、わが国で最大震度7が記録された地震は5回あります。

①平成7年兵庫県南部地震(阪神淡路大震災・1995年1月)、②平成16年新潟県中越地震(2004年10月)、③平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災・2011年3月)、④平成28年熊本地震(2016年4月=2回)です。熊本地震では、4月14日の前震と16日の本震で、立て続けにそれぞれ最大震度7が記録されました。

なお、観測こそされませんでしたが、平成12年鳥取県西部地震(2000年10月)と平成19年新潟県中越沖地震(2007年7月)でも、被害規模から推定して震度7相当に揺れた場所があったのではないかといわれています。

最大震度7の大地震

①平成7年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)

1995年(平成7年)1月17日の未明5時46分に発生した、淡路島北部・明石海峡を震央とするマグニチュード(M)7.3の大地震。震源は六甲・淡路島断層帯に位置する野島断層の北端付近で、震源の深さは16km。気象庁震度階級に震度7が導入されて以来、初めて震度7が記録された地震でした。


兵庫県南部地震の震源域(画像提供:たそがれ日記)

この地震によって兵庫県南部を中心に大きな被害が発生。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者3人、負傷者43,792人に上り、689,776棟の建物が全壊・半壊・焼失・一部破損などの被害を受けました。被害総額は約10兆円とされています。

兵庫県南部地震/崩壊した高速道路・阪神高速3号神戸線


(画像提供:時事通信フォト)

兵庫県南部地震では、六甲断層系に沿って帯状に、神戸市須磨区から西宮市まで幅1km長さ20kmにわたって被害が集中しました。震度7の激震に揺れた『震災の帯』です。
阪神高速3号神戸線や鉄道・地下鉄・ビル・住宅など多くの施設に甚大な被害が発生しました。

兵庫県南部地震/通電火災で延焼する街並み


(画像提供:Access Journal)

兵庫県南部地震の特徴の一つに通電火災があります。停電が復旧し、通電を開始した途端、被災地の各地からほぼ同時に多数の火の手が上がりました。
震度7に耐えた家屋であっても、その後の火災で多くが焼失する無念の事態となりました。

②平成16年新潟県中越地震


新潟県中越地震の震源分布域と活断層
(画像提供:国土交通省)

新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地方を震央とするM6.8、最大震度7の地震です。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)についで、観測史上2回目の最大震度7を観測しました。

新潟県中越地震の震源域は、信濃川断層帯(長岡平野西縁断層帯、十日町断層帯)と新発田・小出構造線に挟まれた魚沼丘陵の一角にあり、北北東-南南西方向に長さ約30km、幅約20kmに分布しています。この地域は、震源域に直交するように西北西-東南東方向に圧縮力を受けていて、今回の地震も断層面の西側が東側に対して相対的に隆起する逆断層型の地震でした。

震源の深さが13kmと浅かったため、地表に大きな揺れと甚大な被害をもたらしました。

新潟県中越地震は、本震直後から激しい余震が続いたことでも有名です。本震発生から2時間の間に、最大震度6強の余震2回を含めて、震度5~6の余震が10回も発生しました。震度1以上の有感地震は、本震当日は164回、翌日110回を数え、累計では8日目に600回、38日目には825回に達しました。最終的に震度1以上の余震は1,000回を超えました。

新潟県中越地震/震源が浅い直下型地震


(画像提供:総務省消防庁)

震度7を観測した新潟県川口町(現長岡市)の震災現場。
崩壊して道路をふさぐ被災家屋。新潟県中越地震は震源の浅い直下型地震だったため、震央の川口町とその周辺地域は激震に襲われました。
川口町では、最大加速度が2,515galという、猛烈な加速度が記録されています。

新潟県中越地震による死者は68人、重軽傷者4,805人。建物の全半壊は17,982棟で、一部損壊も含めると12万棟を優に超える被害でした。ほかに道路損壊6,064ヶ所、崖崩れ442ヶ所など甚大な被害が発生しています。

平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖(仙台市の東方沖70km付近)で発生した国内観測史上最大のマグニチュードMw9.0の海溝型(プレート型)地震です。

この地震で、宮城県栗原市において国内観測史上3例目となる震度7を観測。同時に発生した大津波が東北から関東にかけての太平洋沿岸に押し寄せ、東日本一帯に甚大な被害をもたらしました。福島第一原子力発電所事故も引き起こし、日本における戦後最悪の自然災害となりました。

地震の発生メカニズム


本震震源域とメカニズム
(画像提供:wikipedia)

東北地方太平洋沖地震は、太平洋プレートが北アメリカプレートの下に沈み込んでいる海溝(沈み込み帯)で発生しました。

断層の破壊が始まった震源地は三陸沖ですが、最終的に断層が破壊した震源域は日本海溝下のプレート境界面に沿って南北に長く延び、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及びました。破壊された面積はじつに10万km²に及び、最大30m(平均10~20m)のずれが生じました。

この大規模なプレートの変動で引き起こされた地震は、従来から想定されていたM8前後の単一の海溝型地震ではなく、歴史上たぐいまれな3つの海溝型地震が連動して起こった「連動型地震」でした。そのエネルギーはすさまじく、1923年大正関東地震(Mw 8.2、関東大震災)の約16倍、1995年兵庫県南部地震(Mw 6.9)の1,450倍のエネルギーに相当します。

気象庁は当初、この地震のマグニチュードをM8.4(気象庁マグニチュードMj)としていましたが、気象庁マグニチュードには頭打ちがあって超巨大地震のエネルギーを正確に表せないことから、巨大地震に適したモーメントマグニチュード Mwを採用して、 Mw9.0だったと公表しました。

Mw9.0は、1900年以降に世界で発生した地震の中で4番目に大きな規模になります。もちろん、日本では観測史上初めてとなる超巨大地震でした。

押し寄せる津波


(画像提供:YAHOO NEWS)

この地震によって、観測史上最大級の大規模な津波が発生し、岩手県・宮城県・福島県を中心に、北海道から千葉県にかけて大津波が押し寄せました。
津波の高さは沿岸部海上で8~9mであったと推定され、陸上の浸水高さは三陸海岸で10~15m前後、津波の溯上高さ(斜面を駆け上がった高さ)は、岩手県大船渡市で40.1mにも達していました。

福島第一原子力発電所事故


(画像提供:中部大学)

水素爆発する福島第一原子力発電所。
地震から約1時間後に遡上高14~15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は全電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展しました。

「東日本大震災」と命名されたこの地震による被害は、地震そのものによる被害に加えて津波・火災・地盤の液状化・原子力発電所事故など多岐にわたり、1都9県が災害救助法の適用を受るなど未曽有の大惨事となりました。

震災による死者・行方不明者数は18,455人。死因の90.6%が溺死でした。また、避難生活のストレス、感染症、寒さなどが原因で死亡する「震災関連死」が3,407人にものぼりました。

平成28年熊本地震

熊本地震とは、2016年4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した一連の地震です。

気象庁は、4月14日21時26分に発生した熊本県熊本地方を震央とするM6.5、最大震度7の地震を「平成28年熊本地震」と命名して公表しました。ところがその28時間後、4月16日1時25分に同じく熊本地方を震央として、先の地震よりもさらに大きなM7.3、最大震度7の大地震が発生しました。

気象庁は発表を訂正して、「先に起きた地震は前震であり、後の地震が本震と思われる」としましたが、地震名は変更せず、そのまま平成28年熊本地震の名称を引き継ぎました。

国内でも稀な最大震度7の激震が短い時間に繰り返し二度も発生するのは極めて異例です。また、M6.5の大きな地震(前震)のあとに、さらに大きなM7.3の大地震(本震)が発生するのも異例の事態でした。

熊本地震のメカニズム


熊本地震のメカニズム
(画像提供:毎日新聞)

熊本地震は、九州地方の特異な地殻変動と関連して発生した内陸型(断層型)地震です。

フィリッピン海プレートは、九州付近では陸地に斜交して沈み込んでいるため、南九州はフィリッピン海プレートに引き込まれるような動きを示し、中央構造線の北側では大きな裂け目が生じています。「別府ー島原地溝帯」がそれであり、1万年後には、九州は北九州島と南九州島に分断する運命にあります。

この別府ー島原地溝帯には多くの活断層が集まっていて、今回の熊本地震が過去に例を見ないような複雑な挙動を示したのも、この地溝帯の活断層群に地割れの連鎖が起こったことが原因です。

地震は最初、日奈久断層帯の北端で起きました(4月14日、M6.5前震)。これが引き金となって、北側に交差する布田川断層帯に連鎖し、本震とされる大地震が発生しました(4月16日、M7.3)。これ以降も別府ー島原地溝帯の活断層に次々と地震の連鎖が生じ、阿蘇地方や大分県北部・中部に余震域が広がっていきました。震源域が広範囲に移動し、強い余震が長期にわたって続いたことも熊本地震の特徴の一つです。

甚大な被害を受けた熊本城


(画像提供:日本財団)

熊本地震では、熊本城の天守・櫓・石垣なども甚大な被害を受けました。
天守閣の屋根瓦が無残に崩れ落ちた上に、しゃちほこも落下。重要文化財の東十八間櫓・北十八間櫓が倒壊しました。また、石垣は53か所で崩壊が確認されました。

屋内にいるのが怖い~車中泊を続ける避難住民


(画像提供:JIJI.COM)

被災者の中には避難所に入るのをためらい車中泊を選択する人が続出。避難所の前は車であふれました。
車中泊の理由は「とにかく屋根の下にいるのが怖い」。多数の家が崩壊するのを目の当たりにした被災者は、引き続きおこる強い余震に怯え、避難所に入ることさえ躊躇せざるを得ませんでした。

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